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   チューリップ       






                                                                                                                           

原産地はトルコやコーカサス地方、クリミヤ半島を中心とした黒海の東部沿岸一帯。ヨーロッパにもたらされたのは1560年頃、原種は100種くらいだが、次々と新種が交配され今では約1万種もある。日本へは江戸末期に渡来し「鬱金香(うっこんこう)」と呼んだ。花言葉は博愛、名声。

一面チューリップで埋め尽くされた花壇に踏み入ると、目が眩むような威圧感に戸惑ってしまう。この花は人々の欲望の手によって生存の地域を拡張してきた。
▼1985年以降日本で発生した土地によるバブル、そして1990年代後半のITバブル、株バブル・・・・この陶酔的熱病(ユーフオリア)が最初に歴史に記載されたのは1600年代のことである。投機の対象はチューリップだった。
▼チューリップは16世紀半ばにトルコから西欧に渡来した。直ぐにオランダでは変種づくりが流行になった。まれな品種の球根は異常に価格が跳ね上がり投機の対象になった。チューリップ球根の常設市場がアムステルダムの証券取引所の中に設けられた。1630年代の中頃になると、たった一個の球根で馬車と馬2頭、そして馬具まで買えるほどになった。生真面目で実直なオランダ人がなぜ、チューリップに群がるという異様な「陶酔的熱病」に冒されたのか、本当の理由はいまもって謎だという。
▼1637年2月4日、チューリップ・バブルは突然弾けた。殺到した売りによって市場はパニックになり価格は大暴落した。多くの人が突然、無一文になり破産し、オランダの国家も経済危機に陥った。
▼なぜ、こんな陶酔的熱病に人は冒されるのか。20年前のバブル絶頂期、大学時代の同窓会があった。その席で、成績優秀で一流銀行に入った友人たちがゴルフ会員権の売買について嬉々として話すのをそばで聞きながら、ずいぶんあせった思いをしたことがある。あの知性豊かな彼らがやるなら損はないだろう・・・・そんな空気が17世紀のチューリップの球根の前にもあったにちがいない。あの場に蔓延していた陶酔の空気の中で、懐疑的になる俯瞰力を身につけたいものである。
▼昨今、アメリカが仕掛ける戦争も、あらたな陶酔的熱病かもしれない。バブルと戦争は酷似している。その渦中で懐疑の姿勢を強く打ち出せるかだが、今回も自分はその熱風にさらされ怖気づいて何もできなかった気がする。
▼チューリップ狂の時代が去って、オランダは再び実直でつつましやかな暮らしを取り戻した。もう二度とあんな狂乱はおきないと誰もが思った。しかし、100年後、オランダの人々はまた陶酔的熱病に冒された。今度の投機の対象、それは「ヒヤシンス」だった・・・・。


                   参考:野口悠紀雄氏「バブルの経済学」(日本経済新聞社)

                     2003年4月14日                  
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