夢の誠文堂
  父と母が二人で、瀬戸内海の港町に売り場面積8坪ほどの本屋を開店したのは昭和32年3月20日のことだから、もう半世紀も前になる。福岡県の貧しい農家に生まれた父は、戦後、海軍から戻ると郷里の仲間達と製パン工場をはじめ直方の炭坑などに納めていたが、その工場は不運にも火災にあい消え去った。再起をかけて移り住んだ瀬戸内の町で開いたのが"誠文堂書店”だった。

 かつて毛利藩、参勤交代の行列はこの町の天満宮から1本の道を下り港に入り船出した。江戸時代から賑わったこの通りには、戦後まもなく思い思いの個人商店が店を開いた。誠文堂もそのひとつで、隣は蒲鉾製造の工場で向かいは布団屋だった。それぞれの店は決して大きくはなかったが、幼い記憶の中でそれらは皆、光り輝いていた。
 あれから40年以上がすぎた。右肩上がりの高度成長に乗り誠文堂も拡張しつづけたが、バブル崩壊の渦中に、巧妙に仕組まれた謀略に絡め取られ、消えた。          
                                   

 商店街の多くの子弟たちがそうであったように私も店は継がず上京し企業社会の中に埋没した。たまに帰郷し、天満宮から港へ続く商店街をゆっくりと歩く。そのたびにまたひとつシャッターを下ろした店を発見する。一軒一軒確認しながら、シャッター通りを何度も歩いた。
 歩きながらいろんなことを考えた。そしてひとつのアイデアが浮かんだ。この空疎な風景を新たな出発点にして、かつて父や母の世代が店を開いたように、自分も再生の店を開きたい、と思った。

 企業の中に25年以上身を置いた自分には店を開くといっても店頭に並べるものはなにもない。店を開いて稼ごうという気合もない。ただ、あるのはもう一度自分を焼け野に置いて再生の足場を築きたい、という思いだけだ。

 ネットの中で勝手きままに「夢の誠文堂」の開店を宣言させていただく。
店に並べるものは・・・いまの自分にあるのは、会社が休みの日、家の近くの光が丘公園で撮っている草木花の写真、これに思い思いの文章を添えてみよう。
 何気なく撮った植物の表情に大きな意味があるわけではない。それに添えられる文章にも大きな意味があるわけではない。それらは皆、時間の大河の中のきまぐれな瞬間にすぎない。しかし、その意味のないそれぞれがやがて連動しなにか光らしきものを発信しはじめないだろうか。
 「夢の誠文堂」はそんなきまぐれで意味のない品物が並ぶ店である。

 インターネットという無限の天空に向けて、
 無意味な品々が並ぶきまぐれな店、「夢の誠文堂」の開店を宣言します。
                                      
                             2003年1月1日
                                    店主   
 
 
トップページにもどります