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 新緑の紅葉と1000の風  4月25





















▼ 小さな掌をいっぱいに広げ春の陽光を受ける若葉、その無数の掌が緑に光る絨毯となって、春の風にそよいでいる。光を一身に吸い寄せながら、緑の紅葉は柔かい春を過ぎ、灼熱の夏の光を耐え、やがて陽に焼けて、晩秋の黄昏とともに赤く燃え尽きる。

▼新緑の青春から鮮やかに赤く色づく晩秋の姿まで、紅葉の一生は、光との荘厳な協奏曲だ。そのコンサートに参加するなら、まず、緑の紅葉の下をゆっくり歩くのがいい。幸い、新緑の紅葉の下には、秋のようなあの騒然とした歓声はない。静寂の中、時折、駆け抜ける春風とともにゆっくり歩いてみるといい。まだ、なにも知らない若葉達が小さな掌をいっぱいに広げて、一身に光を受け取ろうとしている姿を目撃すると、こちらまで瑞々しい気持ちになってくる。新緑の紅葉の下をゆっくり歩いてみるといい。



▼ 団地の先輩、Yさんからメールが届いた。Yさんは大手電気メーカーに勤めているが、自ら進んで故郷に近い北陸の支店勤務を申し出て、ここを拠点に、やがて故郷の自然の中に自分の城を築く夢を追っている。


 「金澤のYです。
いつも読ませて頂いてます。最近お忙しいのでしょう 少しおさぼりですね。

福井の田舎に 畑付きの家を 決めました。色々な木を植えるのが 楽しみです。

先日植木屋に行きましたら 2月22日の 「思いの侭に」のなかの白と紅の花が咲く梅。
花の名は 「源平梅」と書いてありました。
そのうち 植えてみたいと思います。
 
ところで メジロの写真はすごいタイミングいいですね。(ありがとうございます。光栄です。)
相当な時間かかったでしょうね。(いえ、偶然、通りがかり、光が丘体育館の前で撮りました。)
光が丘に帰ったときは 必ず 梅園近くのトイレ横の
バードウオッチングの同好会が集まる場所に寄るのが楽しみです。
先日は メジロ、アカハラ、シジュウカラ、コガラが来てました。
 
 11日の日曜日に 福井の兄貴の家から10分くらいの丘に
カタクリの花を見に行きました。
時期的には1週間くらい遅かった感がありました。
兎に角 道の直ぐ横を 山斜面にびっしり片栗が咲いてました。
私の好きな花の一つで感激しました。
田舎でしょうか 柵も看板もありません。通る人も 1時間に3人程度。
昔 カタクリは芽が出てから 5年間は花をつけないと聞いたことが有ります。
このびっしり咲いたカタクリだと 何十年も かかったと 思うとなおさら感激しました。
又 イカリソウも咲いていました。恥ずかしいですが 写真を送ります。
 (写真が届きしだい、掲載させてもらいます。
お待ちします。)
光が丘の近くの 名前を忘れましたが ・・図書の近くのカタクリも
いいものでしたが、全く自然の中のカタクリはまた格別の感がありました。
いつも楽しみに 拝見、拝読させて頂いています
▼,Yさんから届くメールにはいつも元気づけられる。ありがとうございます。今年のはじめだったか、団地のみなさんんとの飲み会で、Yさんからこんなことを頼まれた。「最近、1000の風という詩を聞いたのだが、実によかった。マスコミに勤めている君だったら知っているかもしれない。その詩のこと教えてくれないかな。」 その言葉、引っかかっていたが、無作為に時を過ごしてしまった。ところが最近、若いディレクターの提案の中に、この「1000の風」についてのものがいくつか見受けられるようになった。その情報をもとに「1000の風」について、遅くなりましたが、返信します。

     あとに残された人へ 1000の風 
 
 私の墓石の前に立って涙を流さないでください。
 私はそこにはいません。眠ってなんかいません。

 私は1000の風になって吹く抜けています。
 私はダイヤモンドのように雪の上で輝いています。
 私は陽の光になって熟した穀物にふりそそいでいます。
 秋にはやさしい雨になります。

 朝の静けさのなかであなたが目覚めるとき
 私はすばやい流れとなって駆けあがり
 鳥たちは空でくるくる舞わせています。
 夜は星になり、私はそっと光っています。

 どうか、墓石の前で泣かないでください。
 私はそこにはいません。私は真ではいないのです。     
(訳詩:南風椎)

▼ 「1000の風」は誰が作ってのかわからない。この詩を題材に番組を作ってみたいと提案してきた仙台のS君の情報によれば、アメリカの人気コラムニストのアン・ランダースが「わたしの大好きな詩」として紹介したのをきっかけに作者探しが始まったが、今も作者は見つかっていない。アイルランド共和軍のテロで亡くなった24歳の青年が「僕が死んだ時に開封してください。」と両親に託した封筒の中にその詩があったとか、米国の同時多発テロで父親を亡くした少女が朗読したりとか、今も様々なエピソードが加えられている。まさに、一塵の風が引き起こすさざ波のように、この詩は途切れることなく静かに世界中に浸透している。
▼この一編の詩は誰がいつ何処でどのような状態の中で書上げたのか?そして、それを世界各地のそれぞれの人々はどのような人生の局面で受け取ったのだろうか?Yさんが、今、その詩に強く引かれるように、この詩は私をとらえて離さない。

▼若い紅葉のカーペットの上を、緑の風が吹きぬけていく。真っ直ぐに降り注ぐ陽光を風がやさしくまぶす様にそよいでいる。とめどなくくりかえす季節の中には、あなたの気配がみちあふれている。








                      2004年4月25日