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     日本国憲法前文は やはり胸を打つ
                2007年5月3日

 
 水木(みずき)
   ミズキ科ミズキ属

 光が丘・夏の雲公園の一角にある水木の木。無数の小花が集まった真っ白い花の塊が葉っぱの上にどっさいついてこぼれ落ちそうだ。水木は日本全国の山地にごく普通に見られる落葉高木。中国や朝鮮半島でも自生している。枝を切ると水が滴りでてのどをうるおすことができる。そのために「水木」という名前がついた。樹の材質が均一で美しいので、こけしなどの工芸品に利用されることが多い。花言葉は忍耐。

▼この日は本棚の奧から古い本を引っぱり出す。1982年、小学館の「写楽」編集部が出版した「日本国憲法」、初版本を手にして以来、毎年一度、思い出したように引っぱり出す。本のカバーはこう呼びかける。「憲法は、わたしたちの暮らし方をきめているもっとも基本的な約束です。むずかしいから読みにくいから、といって、読まないで放っておいてよいものでしょうか」
▼憲法前文は声をだして読んでみるのがいい。一文は長く、字面を眺めると難解にみえるが、声を出して読むと、句読点の間の、一つ一つの語句には力がみなぎり、リズミカルで、読み進めるにつれ高揚してくるのは私だけだろうか。多くの人が筆を入れ推敲に推敲を重ねた官僚文章は、バランスを重んじる余り、いつのまにか覇気のない無味乾燥なものに落ち着くのが相場だが、この前文の文章には責任を誰にも転嫁することのない、決然とした志が一筆描きのように貫かれている。
▼特に敬意を表したいのは、次の三文だ。

 わが国全土にわたって自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によって再び戦争の惨禍が起ることのないようにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。

 われらは、平和を維持し、専制と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思う。

 われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。

 先に自民党が発表した憲法改正草案、初めて読んだとき、その入口で躓いてしまった。その前文は全面的に書き直されていた。字面をみればもっともなことばかりだが、言葉が覇気を失っていた。力強いリズムも消え、おそらくこの文章の書き手はなんの精神の高揚もなく、理屈の上でもっともな言葉を添付してきたにちがいない、とさえ、失礼ながら思ってしまう。
▼なぜ、だろうか。それは、二つの文章が抱えている背景の大きな違いに起因している。
▼「今の日本国憲法は戦後のドタバタの中で、GHQに押しつけられたものだ。いまこそ、自分達の手で憲法を・・・」という強い思いが、自民党草案の前文にはこめられている。現憲法の言い回しを悉く消し去ろうとする意図がある。「自分達の手で憲法を・・」という悲願が自民党草案の大背景にある。
▼確かに、現憲法の草案はマッカーサーの下、GHQ民政局の20名余りのスタッフがわずか1週間でつくった。そのことが強調され今に伝えられて「押しつけ憲法」という概念が流布されているが、実際には、GHQはこれにいたるまで、憲法に関する日本の世論を注視し情報を集めてきた。日本では戦後すぐに経済学者の森戸辰男ら学者やジャーナリストが集まり憲法研究会をつくり、すでに草案まで作っていた。その中では、国民主権、さらに天皇を象徴とするという概念まで盛り込んでいた。GHQはこの民間草案を知り、これをもとにすれば新しい憲法ができると確信し政府に積極的に働きはじめた。

▼また、戦後最初の総理大臣として憲法の作成にあたった幣原喜重郎は自らの憲法の関わりについて、自伝(「外交50年」<日本図書センター>)に次のように記している。
 
 終戦の年、幣原は73歳で政界に戻り、総理大臣として憲法草案の作成にあたった。
 8月15日、幣原は都内にあった日本クラブで玉音放送を聞いた。その後、家に帰ろうと電車に乗った時のことである。

「・・・・その電車の中で、私は再び非常な感激の場面に出会ったのであった。それは乗客の中に、30代ぐらいの元気のいい男がいて、大きな声で、向側の乗客を呼びこう叫んだのである。
 『一体君は、こうまで、日本が追いつめられたのを知っていたのか。なぜ戦争をしなければならなかったのか。おれは政府の発表したものを熱心に読んだが、なぜこんな大きな戦争をしなければならなかったのか、ちっとも判らない。戦争は勝った勝ったで、敵をひどく叩きつけたとばかり思っていると、何だ、無条件降伏じゃないか。足も腰も立たぬほど負けたんじゃないか。おれたちは知らん間に戦争に引き入れられて、知らん間に降参する。自分は目隠しをされて屠殺場に追い込まれる牛のような目に遭わせられたのである。怪しからんのはわれわれを騙し討ちにした当局の連中だ』 と、盛んに怒鳴っていたが、しまいにはオイオイ泣き出した。車内の群集もこれに呼応して、そうだそうだといってワイワイ騒ぐ。
 私はこの光景を見て、深く心を打たれた。彼らのいうことはもっとも至極だと思った。彼らの憤慨するのも無理はない。戦争はしても、それは国民全体の同意も納得も得ていない。国民は何も
知らずに踊らされ、自分が戦争しているのではなくて、軍人だけが戦争をしている。それをまるで芝居でも見るように、昨日も勝った、今日も勝ったと、面白半分に眺めていた。そういう精神分裂の揚げ句、今日惨憺たる破滅の淵に突き落とされるのである。もちろんわれわれはこの苦難を克服して、日本の国家を再興しなければならんが、それにつけてもわれわれの子孫をして、再びこのような、自らの意思でもない戦争の悲惨事を味あわしめぬよう、政治の組み立てから改めなければならぬということ、私はその時深く感じたのであった。」
「 私は図らずも内閣組織を命じられ、総理の職についたとき、すぐに私の頭に浮かんだのは、あの電車の中の光景であった。これは何とかしてあの野に叫ぶ国民の意思を実現すべく努めなくちゃいかんと、堅く決心した。それで憲法の中に、未来永劫そのような戦争をしないようにし、政治のやり方を変えることにした。つまり戦争を放棄し、軍備を全廃して、どこまでも民主主義に徹しなければならんということは、外の人は知らんが、私だけに関する限り、前に述べた信念からであった。それは一種の魔力とでもいうが、見えざる力が私の頭を支配したのであった。よくアメリカの人が日本へやってきて、こんどの新憲法というものは、日本人の意思に反して、総司令部の方から迫られたんじゃありませんかと聞かれるのだが、それは私の関する限りそうじゃない、決して誰からも強いられたんじゃないのである。
     ※ 参考 「2006年8月15日 一兵卒二世の備忘録」

▼ 現憲法の前文の言葉から滲み出てくるのは、終戦直後の焼け野原に立つ先人達の並々ならぬ決意である。それも、「もうこんな惨禍に巻き込まれるのは御免だ。」という市民の揺るぎない思いである。その市民の決意を、GHQも日本政府も学者もジャーナリストも共有していた。さらに、世界中の市民が同じ時代の空気の中で共振していた。その意味で、日本国憲法は戦争の惨禍から立ちあがる世界市民の共通の決意表明である。その並々ならぬ思いが一つ一つの言葉から迸っている。

▼前文からはずしてはならないのは「戦争の惨禍」という言葉である。我々の原風景はここにある。我々が常に戻らなければならないのは焼け野に孤立する姿である。これを削ってはならない。伝えていかなければならない。その意味で、自民党草案の前文にはリアリティが感じられない。現憲法の前文はかえてはならない。

▼2006年の6月25日の東京新聞の社説にこんなエピソードが紹介されていた。
 「宮沢喜一元首相は、国会を離れてからも尻ポケットの手帳に日本国憲法が印刷された紙を挟んでいます。時々、取り出して読みます。宮沢さんの番組を作ったテレビプロデユーサーが『新・調査情報』59号誌上で披露したエピソードです。『この憲法についてはあまりよく知らないからです』『明治憲法は学校でさんざん習ったのです。でも、新憲法は学校で習ったことがないのでいつも持ち歩いています』
 この言い方はシャイな宮沢さんらしい謙遜で、本当は『常に憲法を意識する』姿勢の表れでしょう」

 今年は憲法が制定されて60年の節目である。宮沢氏に倣って、私もカバンの中に「日本国憲法」の携帯して持ち歩くことにしよう。



※参考「nhkスペシャル 日本国憲法誕生」



                                 日本国憲法  前文

 
日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和協和による成果と、わが国全土にわたって自由ものたらす恵沢を確保し、政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないようにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。

 そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであって、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基づくものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。

 日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであって、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思う。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。
 われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであって、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従うことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立とうとする各国の責務であると信じる。
 日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓う。

                          2007年5月3日
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