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               長崎の白い雲

       2007年 8月9日

▼長崎原爆忌。テレビの式典中継を見ていた。画面に映し出された長崎の白い雲が余りにも印象的だったので、録画スイッチを入れ、映像を取り込んだ。左は映像から転載させてもらったものだ。

大気の底で行われている式典に集う人々を見下ろしながら、雲はあの日と同じ南風に乗って、ゆっくりと流れていく。平和祈念像の両手は、頭上の白雲の流れをゆっくりと制御しているように見える。

長崎の鐘が鳴る。その後ろにも白雲があった。










鳩は、祈念像が指し示した道筋に従って一斉に雲海原へと送り出された。。


▼ 4月、凶弾に倒れた伊藤前市長(2007年4月19日「長崎市長 凶弾に倒れる」)に替わって市長となった田上富久氏が平和宣言を読んだ。その前文を転載させていただく。

「この子供たちに何の罪があるのでしょうか」

 原子爆弾の炎で黒焦げになった少年の写真を掲げ、12年前、就任まもない伊藤一長前長崎市長は、国際司法裁判所で訴えました。本年4月、その伊藤前市長が暴漢の凶弾にたおれました。「核兵器と人類は共存できない」と、被爆者とともに訴えてきた前市長の核兵器廃絶の願いを、私たちは受け継いでいきます。

 1945年8月9日午前11時2分、米軍爆撃機から投下された一発の原子爆弾が、地上500メートルでさく裂しました。

 猛烈な熱線や爆風、大量の放射線。

 7万4000人の生命が奪われ、7万5000人の方々が深い傷を負い、廃虚となった大地も、川も、亡きがらで埋まりました。平和公園の丘に建つ納骨堂には9000もの名も知れない遺骨が今なお、ひっそりと眠っています。

 「核兵器による威嚇と使用は一般的に国際法に違反する」という、1996年の国際司法裁判所の勧告的意見は、人類への大いなる警鐘でした。2000年の核不拡散条約(NPT)再検討会議では、核保有国は全面的核廃絶を明確に約束したはずです。

 しかしながら、核軍縮は進まないばかりか、核不拡散体制そのものが崩壊の危機に直面しています。米国、ロシア、英国、フランス、中国の核保有5カ国に加え、インド、パキスタン、北朝鮮も自国を守ることを口実に、新たに核兵器を保有しました。中東では、事実上の核保有国と見なされているイスラエルや、イランの核開発疑惑も核不拡散体制をゆるがしています。

 新たな核保有国の出現は、核兵器使用の危険性を一層高め、核関連技術が流出の危険にさらされています。米国による核兵器の更新計画は、核軍拡競争を再びまねく恐れがあります。

 米国をはじめとして、すべての核保有国は、核の不拡散を主張するだけではなく、まず自らが保有する核兵器の廃絶に誠実に取り組んでいくべきです。科学者や技術者が核開発への協力を拒むことも、核兵器廃絶への大きな力となるはずです。


日本政府は被爆国の政府として、日本国憲法の平和と不戦の理念にもとづき、国際社会において、核兵器廃絶に向けて強いリーダーシップを発揮してください。

 すでに非核兵器地帯となっているカザフスタンなどの中央アジア諸国や、モンゴルに連なる「北東アジア非核兵器地帯構想」の実現を目指すとともに、北朝鮮の核廃棄に向けて、6カ国協議の場で粘り強い努力を続けてください。

 今日、被爆国のわが国においてさえも、原爆投下への誤った認識や核兵器保有の可能性が語られるなか、単に非核3原則を国是とするだけではなく、その法制化こそが必要です。

 長年にわたり放射線障害や心の不安に苦しんでいる国内外の被爆者の実情に目を向け、援護施策のさらなる充実に早急に取り組んでください。被爆者の体験を核兵器廃絶の原点として、その非人道性と残虐性を世界に伝え、核兵器の使用はいかなる理由があっても許されないことを訴えてください。



爆心地に近い山王神社では、2本のクスノキが緑の枝葉を大きく空にひろげています。62年前、この2本の木も黒焦げの無残な姿を原子野にさらしていました。それでもクスノキはよみがえりました。被爆2世となるその苗は、平和を願う子供たちの手で配られ、今、全国の学校やまちで、すくすくと育っています。時がたち、世代が代わろうとも、たとえ逆風が吹き荒れようとも、私たちは核兵器のない未来を、決してあきらめません。

 被爆62周年の原爆犠牲者慰霊平和祈念式典にあたり、原子爆弾の犠牲になられた方々のみ霊の平安をお祈りし、広島市とともに、核兵器の廃絶と恒久平和の実現に力を尽くしていくことを宣言します。

 2007(平成19)年8月9日        長崎市長 田上富久


▼田上新市長の平和宣言は、抑制の利いた厳粛なものだった。このメモを書き始める直前、田上市長が市民と議論を重ねながら宣言を推敲していく様子を丹念に追ったニュース・リポート(
「ニュースウオッチ9」)を見た。

 「今日、被爆国のわが国においてさえも、原爆投下への誤った認識や核兵器保有の可能性が語られるなか、単に非核3原則を国是とするだけではなく、その法制化こそが必要です。」 という文言に関して、市長は当初、「法制化こそ必要・・」とそこまで踏み込むことには消極的だった。宣言が政治的なアジテーションになってはならない、という考えがあった。これには私も同感である。しかし、市長は市民との対話を繰り返し、今、一歩踏み込むことの意義を感じ入り、文言を変更する。その潔さには教えられること多い。


▼私の一族は、戦時中、北九州の小倉周辺に住んでいた。当初、二発目の原爆は小倉を標的とされていた。しかし、視界が悪かったため、急遽、長崎に変更になったという・・・・。
 この話を聞かされるたびにぞっとした。その日の天気や風向きが違っていれば、今、ここに私はいない。
 

▼白い雲が、長崎上空の青空を、
過ぎっていく。

                          2007年8月9日
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