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              2世たちの桃源郷

       2007年 8月12日

 青桐 (あおぎり)
        アオギリ科アオギリ属
落葉高木(15〜20m)。葉がキリの葉に似ていて、樹皮が緑色なので、青桐の名前がついた。葉は大形で扁円形をなし互生し、長い葉柄によって枝先近くに集まり浅く3〜5裂し、もとは心臓形で縁には鋸歯はない。
枝先に大きな円錐花序をつけ、多数の小さな花を開く。果実は5個の分果となり、放射状に開出し、乾いたさやで成熟前に裂開して舟状となり、縁にいくつかの球状の種子をつける。種子は球形。
原産は東南アジア。

  
   楠・樟(くすのき)

         クスノキ科ニッケイ属

 常緑高木。西日本に古くからある。神社などに大木がある。特異な芳香を放ち「臭し(くすし)」と呼ばれそれが語源となった。
 別名クス、ナンジャモンジャ。

 葉はつやがあり、革質で、先の尖った楕円形で長さ5〜7cm。主脈の根本近くから左右に一対のやや太い側脈が出る、いわゆる三行脈という形である。その三行脈の分岐点には一対の小さな膨らみがあり、これをダニ室という。初夏に大量に落葉する。葉に厚みがあり、葉をつける密度が高いため、騒音低減のために街路樹として活用されることが多い。
 枝や葉に樟脳がある。樟脳とは、クスノキから得られる無色透明の固体のことで、防虫剤や鎮痛剤などに使用される。
 晩秋、直径7〜8mm程度の球形の果実が黒く熟し、鳥が食べるが、人間の食用には適さない。直径5〜6mm程度の種子が一つ入っている。




▼今年の長崎原爆の忌で、市長が被爆クスノキのことに触れた。(2007年8月9日「長崎の白い雲」) 爆心から800bの山王神社にあった二本のクスノキは原爆の大きな被害を受けたが、その後、樹勢を取り戻し、長崎の人々の復興の象徴とされた。市長の話では、その苗木が全国に配られているという。
▼東京ではどこに植えられたのか、気になり、検索してみると、近くの中野区立平和の森公園(中野区新井3丁目37番)にあるという。さらに、そこには広島の被爆アオギリや被爆ポプラの苗木も植えられているという。

▼平和の森公園に被爆2世のポプラ苗木が植樹されるきっかけとなったのは、中野区に住む漫画家こうの史代さんの働きかけによるものらしい。こうのさんは広島県出身で、被爆者や被爆二世の女性を主人公にした「夕凪の街 桜の国」を2004年の秋に発表し手塚治虫文化賞・文化庁メディア芸術祭大賞をW受賞した。どんな作品か気になり、さっそく手に入れて読んだが、これがなかなかの傑作だった。被爆から10年後、昭和30年代の広島を舞台にした「夕凪の街」では、バラックに暮らす母と娘、娘にほのかに心を寄せる若者・・・、その日常の暮らしがさりげなく愛おしく描かれる。入市被爆した主人公・皆美は、10年が過ぎ発症し最期を迎える、その場面まで切々と綴られる人々の暮らしの一コマ一コマが染みいってくる。「桜の国」は、その後、被爆2世達が背負った理不尽な人生を、押しつけがましくなく描き込まれる。いずれも明るい登場人物達の個性が軽やかに描かれれば描かれるほど、それぞれが背負ったものの重さが突き刺さってくる。
▼すぐに、この作家のフアンになり、「長い道」(甲斐性のない夫ののんびり屋の妻の淡い新婚生活を描いた快作)、「こっこさん」(どう猛なニワトリを飼うことになった少女の愛らしい話)を一気に読んだ。
▼検索情報によれば、こうのさんが中野区に植樹を働きかけたのは、広島市の大田川河岸の復興のシンボルとなったポプラの親木の2世だという。植樹の式典が行われたのが2006年の3月とあるから、「夕凪の街、桜の国」を描き上げた直後から、こうのさんをこの働きかけをはじめたことになる。
▼ポプラ2世の苗木が植えられた近くには、2002年に広島市から被爆アオギリ2世、長崎市から被爆クスノキ2世の苗木が植えられている。さっそく、中野区の平和の森公園に出かけていった。


▼セミがけたたましく鳴く大変な猛暑。公園に着くなり影を捜して東屋に入り、ペットボトルのお茶を飲み干した。ふとみると、目の前に見事なサルスベリの花が青空を背に、濃いピンクの光を放っていた。さっそく、リュックからカメラをとりだし撮影した。炎天下にもっとも似合う花は、このサルスベリだなあ、と改めて感心したりするあたりが幼い。
といっても、小生、本日で54歳になる。白髪の数はめっきり増え、最近、顎髭にも白いものが増えているのを発見し動揺している。始末におえないのが、肉体の老化に反して、精神の稚拙さは一向に解消されないことだ。こんな暑い昼間に一人公園をうろうろし、リュックにはコミック本をしのばせている。どうみても変人だなあ・・・。そんなことなどうでもいい。被爆2世をめざして歩こう。

▼由緒ある「被爆2世」の木々である。当然、樹の前には碑が立っているか説明の札があるのだろうと思った。公園内の案内板にも場所が示してあるものとも思ったのだが、何も書かれていない。しかたなく、約5万平方メートルあるという公園を札を求めてゆっくり歩いたが、とうとう発見できなかった。
▼公園を一周回って、再び東屋の日陰に飛び込んだ。さて、困ったなあ、このまま、帰るのもしゃくにさわる、どうしよう。炎天下、花壇の手入れをしている男性がいた。公園管理の人らしい。「すみません、この公園に被爆アオギリがあると聞いたのですが・・。」 顔を上げた男性は60歳台後半だろうか、日焼けした笑顔で、「ああ、ありますよ。すぐそこですよ。案内しましょう。」と言って歩き始めた。 
          ↓被爆アオギリ二世


▼案内された場所は、驚くことに、公園に入って最初に撮影したサルスベリの樹のすぐ下だった。そのサルスベリの横に、風にそよぐ細い若木があった。

 見ると、その枝は瑞々しい緑色だった。青桐だ。

「これが広島から来た被爆アオギリの2世です」と紹介された。
























迂闊だった。先ほど、サルスベリの撮影をしていた自分のすぐ横に、目的の樹があったのだ。てっきり、札が立っていると思っていた。自分の先入観、鈍感が情けない。
 若木はすでに青々とした大きな葉を持っていた。






▼アオギリの葉の向こうに、風にざわざわとゆれる2メートルくらいのこれも若い樹があった。「長崎からの被爆クスノキです。」 



              
    被爆クスノキ二世











まだ柔らかい無数の緑の葉が風を受けて踊っている。葉の向こうに、サルスベリの紅が見下ろしている。サルスベリの高木を囲むように、二本の若木はあった。






さらに、それから数メートル離れたところに、三角形の若葉が風に大きく身を揺らしながら踊っていた。ポプラだ。去年、こうのさん達が植樹した、被爆二世のポプラがあった。
        ↓被爆ポプラ二世
















▼それにしても、どうして説明の札一枚もつけられていないのだろうか。聞いてみた。
「いや、何度も札を付けたんだけれどね、すぐに持っていかれるんですよ。」
そういって、案内してくれた男性は、花壇のほうに
かえっていった。



▼とにもくにもシチュエーションは最高だ。青い空、白い雲、そこに映えるサルスベリの紅。その紅を見上げて踊る、被爆二世達の若葉。フアインダーを覗いて夢中でシャッターを押していると、この場所が、一つの桃源郷のように見えてくる。
▼ふと、こうの史代さんの作品「桜の国」を想う。この作品は、広島を離れ東京に移り住んだ被爆二世の家族を描いたものだ。戦後、あらぬ差別に苦しめられた被爆者やその二世達の人生がさりげなく、ずっしりと描き込まれた。作品を描き上げて、この公園に被爆二世を植樹することに奔走した作者のことを考えた。
 ああ、そうなのかもしれない。
東京に移り住んだ被爆二世達にはレッテルはいらない。



▼中野区の平和の森公園。芝生広場の隅の東屋の前、夏になるとサルスベリの花が紅桃色に輝いています。それを目印にその下にいくと、青緑色の枝、手を広げたような大きな葉っぱを持つ若いアオギリの木があります。
 その直ぐ横には、先の尖った楕円形の葉っぱを無数につけたクスノキの若木、それから少し離れたところ、芙蓉のピンクの花々の前に、三角形のポプラの若木が風に大きく身を揺らしています。ここが被爆二世達の桃源郷、
若木たちは、この新天地でどこまでも天に向かって伸びていくことでしょう。

▼毎夏、サルスベリの紅桃色をめざして、彼らの成長を確認するために、この公園を訪ねることにしよう。
                          2007年8月12日
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