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                9のつく年
                2009年1月1日

 

 栴檀(せんだん)
Melia azedarach L.
センダン科センダン属

落葉広葉樹 本州南部以南に自生する。5〜6月に淡い紫色の小花をたくさん咲かせ、秋から冬にかけオリーブのような黄色い実が熟する。
 和名の由来としては、実のつき方が数珠を連ねたように見えることからセンダマ(千珠)の意味でつけられたという説や、実の多くついた様子を「千団子」に見たてたという説などがある。栴檀の実 は、生薬の苦楝子(くれんし)として、ひび、あかぎれ、しもやけに外用。整腸、鎮痛薬として煎液を内服。
 花言葉は、意見の相違

▼2009年、新しい年の初め、人気の少ない公園で、今年初めて目にとまったのは栴檀の木。無数の実が黄金色に光って、冷気に揺れている。
 この草木花便りを始めたのは2003年だった。その1月、同じ栴檀の樹を撮影し掲載した。(2003年1月5日「団子はいかが」)あれからもう6年、あっという間の時間の流れだ。

▼八を末広がりの数字として北京オリンピック開催の2008年を縁起が良いと慶んだ中国では、九という数字は、これまた「永久」の「久」と同じ発音になり縁起の良い数字となっているそうだ。さてさて、未曾有の経済危機のまっただ中、突入した2009年は果たして縁起の良い一年となるかどうか。
▼フランスの経済学者・思想家、ジャック・アタリ氏は「世界は9のつく年を節目に動いている。」といい、「21世紀は1989年から始まっている。」とする。気になって、年表を開く。
◇199
 <1月1日>欧州連合でユーローが通過として導入
<1月14日>自自連立により、小渕一次改造内閣が発足
<3月3日>日本銀行、ゼロ金利政策実施。
<3月24日>コソボ紛争への制裁のためNATO軍がユーゴスラビアを空爆。<4月7日>西武ライオンズの大型ルーキー・松阪大輔投手が日ハム戦でプロ初登板、8回2失点でプロ初勝利。<8月17日>トルコ西部地震。<9月21日>台湾大地震発生。<9月30日>東海村JCO臨海事故発生。<12月31日>ロシアのエリツイン大統領が辞任。代行にプーチン首相を指名。

198
 <1月7日>昭和天皇崩御。「平成」がはじまる。<2月9日>手塚治虫死去。<2月15日>ソ連、アフガニスタンから撤退。<4月27日>松下幸之助死去。<6月4日>天安門事件、中国孤立。<6月24日>美空ひばり死去。<11月11日>ベルリンの壁崩壊 <11月24日>チェコスロバキア、ビロード革命。共産党政権崩壊。<12月3日>米ソによるマルタ会談。冷戦の終結を宣言。<12月22日>ルーマニア、チャウシェスク政権崩壊。<12月29日>日経平均株価史上最高値、これを頂点にバブル崩壊がはじまる。

197
<1月1日>アメリカと中国 国交樹立 <2月1日>イラン革命 <2月17日>中越戦争 <3月28日>アメリカ、スリーマイル島原発事故<7月16日>イラク、サダム・フセインが大統領に就任<10月26日>韓国、朴大統領暗殺 <11月4日>イランのアメリカ大使館人質事件<12月12日>韓国、粛軍クーデター、全斗煥が軍の実権を掌握 <12月24日>ソビエト連邦のアフガニスタン侵攻 

196
<1月18日>東大安田講堂攻防戦。→東大入試中止<4月28日>シャルル・ドゴール仏大統領を辞任<6月8日>南越南共和国臨時革命政府を樹立<7月20日>アポロ11号、人類初の月面有人着陸を果たす<9月23日>中国が第一回地下核実験実施、中国国内は文化大革命の嵐<12月27日>第32回衆議院議員総選挙投票。自由民主党圧勝(228票)小沢一郎、森喜朗、羽田孜、土井たか子、不和哲三らが初当選。

195
<1月8日>シャルル・ドゴールがフランス初代大統領に就任 <3月10日>チベット動乱、中国国内は大躍進の失敗で大飢饉<4月10日>今上天皇ご成婚<5月26日>IOC総会で1964年の夏季オリンピック開催地が東京に決まる<6月3日>シンガポール独立<7月22日>熊本大学医学部水俣病研究班が水俣病の原因物質は有機水銀であると公表<8月13日>在日朝鮮人帰還で日朝協定<9月26日>伊勢湾台風、死者5041人

194
<1月25日>中国共産党が北京奪回<3月7日>日本、ドッジライン実施<4月4日>NATO発足<4月23日>中国共産党軍、中華民国の首都南京を制圧<5月16日>東京、大阪、名古屋の3証券取引所が取引再開<5月20日>中国国民党、台湾に戒厳令を施行<5月25日>通商産業省発足<7月5日>下山事件<7月15日>三鷹事件<8月17日>松川事件<8月26日>シャウプ勧告GHQに提出<8月29日>ソ連核実験に成功<9月7日>ドイツ連邦共和国(西ドイツ)発足<10月>湯川秀樹博士、日本人初のノーベル賞<10月1日>中華人民共和国成立<10月7日>ドイツ民主共和国(東ドイツ)成立。ドイツの東西分裂が確定<12月8日>蒋介石率いる中華民国政府の台湾への移転が完了<12月29日>インドネシアの独立が確定

193
<1月4日>第一次近衛内閣総辞職<1月24日>チリで大地震(死者8万人)<1月26日>スペイン・バルセロナ陥落、フランコ将軍の占領下に<3月14日>スロバキアがドイツの保護国として独立<3月16日>ドイツがボヘミア・モラブイアの保護領化を宣言(チェコスロバキア解体)<3月23日>ドイツがリトアニアのメーメルをを併合<3月28日>フランコ将軍がマドリードを占領(スペイン内戦終結)<4月7日>イタリアがアルバニアに侵攻<4月11日>ハンガリーが国際連盟を脱退<4月28日>ドイツがドイツ・ポーランド不可侵条約破棄を宣言<5月7日>スペインが国際連盟を脱退<5月12日>ノモンハン事件<5月22日>独伊軍事同盟締結<6月7日>満蒙開拓青少年義勇軍壮行会挙行<6月14日>日本軍、天津のイギリス租界を封鎖<7月1日>日本軍、ノモンハン攻撃開始<8月2日>アインシュタイン、ルーズベルト大統領にマンハッタン計画の契機となる書簡を送付<8月23日>独ソ不可侵条約締結<8月28日>「欧州の天地は複雑怪奇」という声明を出して平沼内閣総辞職<9月1日>ナチス・ドイツ軍ポーランド侵攻、第二次世界大戦勃発<9月2日>イタリアが中立表明<9月3日>イギリス・フランス・オーストリアがドイツに宣戦布告/大本営が関東軍にノモンハン事件に作戦中止指令<9月4日>日本、第二次世界大戦への不介入を表明<9月5日>アメリカが中立を表明<9月6日>南アフリカがドイツに宣戦布告<9月10日>カナダがドイツに宣戦布告<9月15日>ノモンハン事件停戦協定成立<9月17日>ソ連軍がポーランド東部に侵攻<9月18日>日本・「賃金等統制令」「価格等統制令」公布<9月27日>ワルシャワがドイツの空爆で陥落<9月28日>独ソ友好条約調印<11月30日>ソ連がフインランドに侵攻<12月14日>国際連盟がフインランド侵略を理由にソ連を除名<12月26日>トルコで大地震(死者33000名)

192
<1月>スターリン、トロツキーを国外追放。スターリンの独裁体制完成。<7月2日>張作霖爆殺事件の責任をとって田中義一内閣総辞職<7月24日>日本、不戦条約を批准 <10月24日>ニューヨーク証券取引所で株価大暴落。世界恐慌へ。

191
<1月18日>第一次世界大戦の終結に関するパリ講話会議開催
<2月13日>日本、国連規約委員会に人種的差別撤廃を提案。16票中11票の賛成を得たが、アメリカ・ウイルソン大統領の反対で否決。
<3月1日>朝鮮半島で三・一独立運動
<3月23日>イタリアでムッソリーニが「戦士のフアッショ(後のフアシスト党)」を結成
<4月6日>インドでガンディが「非暴力」「不服従」運動を開始

<4月12日>日本、関東軍設置 <5月4日>中華民国で五・四運動<6月28日>ドイツが連合国とベルサイユ条約を締結<8月11日>ドイツでワイマール憲法が成立<8月19日>アフガニスタンがイギリスから独立<10月10日>孫文らが中国国民党を創立<12月23日>イギリスが州政府に部分的な自治を容認するインド統治法を実施

190
<1月28日>米西戦争以来キューバに駐留していた米軍が撤退 <7月6日>韓国併合の方針を閣議決定<9月4日>満州及び間島に関する日清協約調印<10月26日>伊藤博文が朝鮮半島で暗殺される<11月4日>日比谷公園で伊藤博文国葬<11月11日>米海軍が真珠湾に基地を建設

189
<1月3日>「ニューヨークタイムス」が社説ではじめて「自動車」という言葉を使う。<2月1日>東京・大阪間に電話開通<2月4日>米比戦争開戦<2月6日>米西戦争の講和条約批准
<5月18日>オランダのハーグで第一回平和会議開催<10月11日>第二次ボーア戦争開戦



▼栴檀の木の奧の広場から小学生達の黄色い歓声が聞こえてくる。正月の凧揚げ。見ると凧をあげているのは皆女の子。それを男の子がポケットに手をいれて見ている。私の職場でも、女性達はしっかりと自分の言葉で主張し独自の道を切り開こうと格闘している。女性達が頼もしい、というより女性力頼みの時代になった・・・・そんなことを考えながら、この女の子たちの微笑ましい凧揚げを観覧させてもらった。

▼「9のつく年に時代の節目が訪れ、21世紀は1989年に始まっている」という、フランスの知性・ジャック・アタリは、「21世紀の歴史」(作品社で、これからの世界をこう予測する。まず、アメリカ支配が崩壊する。そして一方で、市場そのものが帝国化され、制御できない紛争が勃発するという無秩序をへて、その果てに、2050年頃に、金銭の支配を超えて、人々が利益ではなく他人の喜びを自分の喜びとする超民主主義という境地が訪れる。
▼凧揚げする少女たちが、私と同じ年令になったとき、世界はどんな姿になっているだろうか。国家という枠組みをこえ利他的に行動する「超民主主義」に辿り着いているだろうか。その理想に向かって、今の大人達は螺旋階段を一段づつ積み上げていく覚悟を持ちたいものだが、「9のつく年」の出来事をこうして書き写していると、人類は同じところをグルグル回っているようにみえて、不安になる。

                                   ※ 参考:Wikipedia
                          2009年1月1日
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