“かほり”の謎が解けた
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月5日

▼12月に入ると街は一気にクリスマスに向かって走り出す。花屋の店頭にはポインセチアやシクラメンが一斉に並ぶ。
▼シクラメンを見ると、いつもぼんやり腑に落ちない気分になる。「小椋佳はなぜシクラメンに香りがないのに“シクラメンのかほり”という題名をつけたのか?」
今年1月9日の「草木花便り」でもそのことを考え、
「・・・・シクラメンの花にこれといった香りはない。その事実を小椋佳は知っていたにちがいない。そしてあえて「シクラメンのかほり」とつけた。過ぎ去ったのは厳粛な事実ではなく曖昧な幻影だから。・・・」などと適当な思いつきを書いているが、なんだか説得力がない。
相変わらず、どんよりした謎をかかえたままでいたのだが、きょう、こんなメールが飛び込んできた。
▼ 「素敵な花の話をありがとううございます。
私はブログを書いていている「日刊ドリンク」と申します。
小椋佳さんのシクラメンのかほりについて記事を書いたことを思い出しましたので、お時間のあるときに読んでいただければ幸いです。どんどん寒くなってきますが、風邪などひきませんように。これからも花のことを色々教えてください。http://dailydrink.exblog.jp/1310579/
▼さっそく、「日刊ドリンク」さんのフラグを開いた。そこには「シクラメンのかほり」の“謎”がいとも簡単に解き明かされていた。以下はその引用です。
▼「 シクラメンのかほり 」は布施明さんが歌って、大ヒットした歌なので、みなさんもよく知っている歌だと思います。しかし…俳句や文学関連のサイトを見ると、「 かほり 」が、間違った使い方をされていると、よく指摘をされています。たしかに「 香り 」の旧仮名遣いは「 かをり 」です。この「 クラメンのかほり 」の影響で、日本語が間違っていったことは、ファンとしては…嬉しくもあり悲しくもあります。
▼この「 かほり 」は、小椋佳の奥さんの名前なのです。
小椋佳さんは昭和19年1月18日、東京上野東黒門町に、5人兄弟の長男として生まれました。本名は、「 神田紘爾 」といいます。
 昭和38年、東京大学法学部に入学。1年生の間はボート部に籍を置き、授業には殆ど出席しないで、過ごすしたそうです。
 昭和40年。「 法律相談所 」という倶楽部に属し、これを機に司法試験を目指します。法律の勉強を始めようと、この夏、福島県檜原村の学生村に勉強のためこもります。このときの学生村のほとんどの家の姓が『 小椋 』であったことから、ペンネームの小椋姓を借用し、毎日付けていた日記にもう一人の自分としての小椋が登場するようになったそうです。
 昭和42年。大学を卒業して、日本勧業銀行(のち第一勧業銀行)に入行。初任地は銀座支店。そして11月、歌詞の「 塚原佳穂里 」さんと結婚します。
▼実際のシクラメンには、あまり「 香り 」はありません。また実際に白やピンクのシクラメンはありますが…、当時はまだ、うす紫のシクラメンは無かったとおもいます。彼女が好きな色だったので、あえて無い色を書いたと…何かの本で読んだように記憶しています。」(「日刊ドリンク」より)

▼「かほり」が奥さんの名前だったとは知らなかった。この文章を読んでどんよりした謎が一気に解けた。心ときめいた恋の季節への深い追慕の訳が実に率直に佳穂里さんに投げかけられていたのだ。

真綿色した シクラメンほど
清(すが)しいものはない
出逢いの時の 君のようです
ためらいがちに かけた言葉に
驚いたように ふりむく君に
季節が頬をそめて 過ぎて行きました

うす紅色の シクラメンほど
まぶしいものはない
恋する時の 君のようです
木もれ陽あびた 君を抱けば
淋しささえも おきざりにして
愛がいつのまにか 歩き始めました

疲れを知らない 子供のように
時が二人を 追い越してゆく
呼び戻すことが できるなら
僕は何を 惜しむだろう


うす紫の シクラメンほど
淋しいものはない
後ろ姿の 君のようです
暮れ惑う街の 別れ道には
シクラメンのかほり むなしくゆれて
季節が知らん顔して 過ぎて行きました

疲れを知らない 子供のように
時が二人を 追い越してゆく
呼び戻すことが できるなら
僕は何を 惜しむだろう 】


▼小椋佳の「小椋」という名前は「学生村のほとんどの家の姓が『 小椋 』であったことから」つけられたということも漠然とした記憶にあったが、間違いなかったことを確認した。私が「シクラメンのかほり」と並んでもう一つ好きな「くぐり抜けた花水木」(2003年1月6日「冬の花水木」)も佳穂里さんの面影を追ったものなのだろう。
 様々な青春の悩みの中にあり学生村に籠もっていた神田青年。ふと二階の窓から外を見れば、小椋という姓ばかりの村の家々を縫って、佳穂里さんが歩いてくる。彼に会いにやってくるその遠景、彼女の背後には花水木が満開だ。その風景を中で彼は自らの名前を小椋佳と決めた・・・・・


その花の道を来る人の
明るい顔の不思議さに
くぐりぬけて見る花水木 

あれほど疲れていた僕が
なぜか夢でもみるような
まどろむ光の花水木

そのあざやかさは何もかも
捨て去ってきたこの僕の
旅を見下ろす花水木    なぜか君のことを考えてます  




▼ちょっとしたことだが、腑に落ちない謎が解けると、不思議に気が晴れる。「日刊ドリンク」さん、どうもありがとうございます。
 
                      2004年12月5日