思いのまま 2006
         2006年3月26日

源平桃(ゲンペイモモ)

バラ科サクラ科。紅白に咲き分ける八重咲きの桃。赤と白が同一の花弁に混じる花、枝によって咲き分けるなど、様々。それを源平の旗に見立てて、源平咲きと呼ばれるようになった。咲き分けの花木は様々だが、桃が最も古くから知られている。元禄の「花壇地錦抄」に初めて登場。「大和本草」には江戸桃または源平桃とある。(「花おりおり」より)

▼「思いのまま」シリーズ、今年は咲き分けの本家、源平桃を撮った。新宿御苑で見かけたものだ。赤い花が連なる枝、白花の枝、そして清楚な絞りの花群れ。しばらく見とれて色々なアングルで撮影したが、出来あがった写真は、それほどでもなかったので、がっかりしている。その花や草木が、一瞬のかすかな光や風に反応して見せる煌めきを、写真に焼き付けるのは難しい。たかが素人の植物写真であるが、奧はかなり深い。

▼夕方、帰宅して写真を整理していると、テレビから大相撲の熱狂が響いてきた。千秋楽、1敗の白鵬が魁皇に敗れた。さらに結びの一番で、横綱・朝青龍が栃東の気迫に寄り切られてしまったために二人は再び並んだ。その瞬間から、決定戦にのぞむ二人のモンゴル力士の様子を追った生中継の映像にオーラが走る。支度部屋で弟子を相手に、留まることなく体を動かすのは白鵬。一方の朝青龍は、栃東に負けた後、しばらく外を眺めたあと、座ってじっと瞑想に入った。この動と静の対比が鮮やかに中継カメラに映し出された。
▼そして、土俵に上がった二人。仕切をした後、じっと横綱を睨み動かない白鵬、これに対し朝青龍も睨み返し、横綱の風格を見せつけるように白鵬の鋭い目線を跳ね返す。仕切一回ごとに両者の気合いが高まっていくのがわかる。その緊迫の駆け引きに、大相撲の醍醐味を感じる。

▼相撲のルーツは、12世紀の初め、チンギス・ハーンの時代にはじまったモンゴル相撲にさかのぼると言われている。モンゴル草原で群雄割拠の時代を駆け抜けたチンギス・ハーンは「力」を信奉した。彼は、家来を集めて相撲をとらせて、勝ち抜いたものに重要なポストを与えていたという。その伝統を受け継いでいるのだろう、モンゴル力士たちの勝負へのこだわりには並々ならぬものを感じる。いざという時に、肩に力が入ってしまいチャンスを逃してきた栃東の戦いは、自分の精神力との闘いだった。その姿はいかにもストイックな「農耕民族」らしい。その一方で、闘志をむき出しにするモンゴル力士達の所作はいかにも「遊牧民族」らしい、と思う。
▼組織の中で、意見が対立したとき、自分にはすぐに折衷案を求めて、調整に入ろうとする優柔不断なところがある。真っ向勝負で意見を対立させて、最後まで自分の立場を貫き通そうとする男気のある先輩の行動様式を見ていると、自分は卑弱だと痛感させられる。正面切って、人と対立したくない、できれ皆とうまくやっていきたい。そうした自分の本性に気を許していると、すぐに安きに走り八方美人に流れてしまいそうなので、その局面、局面で、気を引き締めるようにしないと危なっかしい。つくづく自分の本性は典型的な「農耕民族」だと思う。生きるか死ぬかの明確な勝負に身を委ねて草原を走ったチンギス・ハーンの子孫達の生き方はその対局にあるようである。
▼優勝決定戦。両者、見事な立ち合い。朝青龍は自分得意の左四つに持っていったが、上手に手が届かないと見ると右に巻き替えた。両者がっぷり四つの大一番。右四つは白鵬得意の形、「しめた!」とばかりに白鵬は一気に攻めようと前に出た。その瞬間をとらえて、朝青龍は豪快な右下手投げを打ち、白鵬をぶん投げた。死力を尽くした名一番だった。興奮の大阪府立体育館、横綱・朝青龍は豪快に勝ってみせたが、場内には次の時代の風が吹き始めていた。
▼手前味噌になるが、2003年の1月、貴乃花の引退に際して、次にくる朝青龍の時代をひしひしと感じていた。(2003年1月20日「貴乃花と朝青龍」
それから3年、今、朝青龍独走時代の終焉を感じる。モンゴル第一世代が第2世代に脅かされる時代に入った。そして、今、明らかに、日本の国技、大相撲が世界のスポーツへと進化した。今場所、優勝以外に、3賞もモンゴル勢が独占、幕内7人、十両2人のモンゴル力士全員が勝ち越した。さらに、十両ではエストニア出身の把瑠都が43年ぶりの全勝優勝を達成した。
▼表彰式の前、会場を流れる君が代に、違和感を覚える。君が代の後に、モンゴル国歌が流れてもおかしくない。受賞するするモンゴル力士が全員土俵に上がって、モンゴル相撲で行う勝利の「鷹の舞」をやるもの洒落ているかも知れない。会場にはモンゴルの民族衣装を着た白鵬のご両親、そしてエンフボルト首相が観戦していた。

▼モンゴル草原から生まれ出た大相撲は東洋の果ての日本で「相撲道」として完成された。そして、今、それがもう一度、モンゴルの手に委ねられ、さらに次のステージ、「世界の大相撲」へ飛躍しようとしている。大相撲が日本の国技という枠組みを捨て、「思いのまま」の多様性を獲得する時代に入ったのだ。
やはらかに
 人分けゆくや
   勝相撲(かちずもう)

       
      高井几董
(※江戸中期の俳人。与謝野蕪村の弟子)


2004年2月22日「思いのまま2004」2005年3月22日「思いのまま2005」

2006年3月26日