ホトトギスの紫色 10月29

ホトトギス(時鳥草/油点草)/ユリ科の多年草。花と鳥に同じ名前が付けられている。白地に紫の斑点が、鳥のホトトギスの胸に似ているから名付けられた。英名ではジャパニーズ トオド リリーと言われ、トオドとはガマガエルのことである。ホトトギスは日本を中心としたアジアに分布している。花言葉は、永遠にあなたのもの
        
▼公園のクスノキの下にいつもの老人が座っている。今日は息子夫婦が孫を連れてやってきているらしい。いつもの気むずかしい老人の顔がきょうはほころんでいる。孫と戯れる老人のそばにホトトギスの花を見つけた。その紫の斑点は見方によればグロテスクだが微妙な色合いを生み出している。それによくこんなに複雑な形の花を生み出したものだと思う。
▼とその時、おじいちゃんと戯れていた、小学低学年くらいの男の子が突然半べそをかいたようにして老人のそばを離れ、数メートル離れて座っていた母親のもとに駆け寄ってきた。男の子は訴える。
「おじいちゃんが僕のことを“バカタレが”と言った!」  さりげなく聞こえた言葉を聞き流して、レンズの中のホトトギスを見ていた。母はそんな息子の訴えを軽く交わすだろうと思っていた。ところが、次の瞬間、その母親は甲高い言葉を息子に返した。「おじいちゃん、ひどいことを言うわ。謝らせなさい。」息子は母の言葉を受けて、再び老人の前に立ちはだかり「おじいちゃん、謝れ!」と言った。老人からは先ほどの柔和な顔は消え、小さくぼそっと「ごめん」と言う。それを聞いて息子の背後にいる母が「おじいちゃんにもっと大きな声で謝りなさいっていいなさい。」さらに甲高い声で息子に命じた。 それを聞いて体が凍り付いてしまった。「このバカタレが!」というフレーズは老人の口癖である。私も何度も聞いたことがあるが、おそらく孫と戯れる中で何気なく出てきたであろう言葉への、母子のあまりにも異常な反応に驚いた。ひとつの言葉に対しての感受性の位相が大きくずれている。この母親には老人と孫との間でつい今し方まで通っていた和やかな時間への想像力が入る余地はなく、ただ断片的なフレーズに自分の自尊心を傷つけられたかのように反応し、逆に老人の心をいたく傷つけているのだが、そのことを彼女は気づいていない。言葉が感覚的なフレーズとして相手のことはお構いなしに飛び交っていく。


▼昨日、赤坂御苑で開かれた園遊会で、棋士で東京都の教育委員である米長邦雄氏が平成天皇と交わした会話が波紋を呼んでいる。平成天皇は米長氏の前にきて、こう話しかけた。「教育委員のお仕事、ご苦労さま。」 これを受けて、米長氏は嬉々としてこう答えた。「日本中の学校で国旗を掲げ、国家を斉唱させることが私の仕事でございます。」 よくぞ、とばかりに米長氏は天皇に褒めてもらいたかったのであろうが、意外な言葉を平成天皇はさらりと発した。「やはり、強制になるというものではないのが望ましいですね。」 

▼公立学校での国旗掲揚と「君が代」斉唱については1999年に国旗・国歌法が制定されたが、当時の小渕首相ら政府首脳は「これらは強制する趣旨のものではない。」という見解を発表している。しかし、東京都の教育委員会は昨年、公立学校の卒業・入学式で君が代を歌わない教員を処罰すると発表し、実際に230人を懲戒処分にするなど、明らかに“強制”に向かって突っ走っている。天皇はこの経緯を充分、ふまえた上で、「強制になるというものではないのが望ましい。」と発言した。その言葉に天皇の熟慮が伺える。
▼平成天皇を始め皇室から投げられる昨今の言葉について、この「草木花便り」でも注目してきた。「“空疎な中心”からの反撃(2004年5月12日)「平成天皇の覚悟<1>(2003年12月23日)」 「平成天皇の覚悟<2>(2003年12月24日)」 戦争責任、自らの癌の病状公表、民間から皇室へ入った妻への気配り・・・・いずれの局面で発せられた天皇の言葉には、日本国憲法の定める「象徴」としての自分の役割を強く意識しその上で自分の個性や意見をうちだそうとする熟慮の軌跡が感じ取れる。その場限りの乱暴で投げやりなフレーズが横行する永田町の言語とは対照的である。
▼終戦後、米国はその理想主義の面を前面に出し、日本を変えようとした。そして日本国憲法を編み出した。この憲法が誕生する同じ時期、皇太子(のちの平成天皇)は米国から(理想的な)民主教育を受けていた。この意味は大きいと思う。生まれた新憲法では天皇は象徴とされ、新たなシステムとして機能することを義務付けられた。この「象徴」としての天皇の立場をもっとも切実に受け入れたのは、昭和天皇ではなくその息子である皇太子、平成天皇ではなかったのか。(「平成天皇の覚悟」より)
▼「強制になるというものではないのが望ましい。」という発言に敏感に反応したのは韓国・中国のメディアであった。各紙は一斉に好意的に取り上げた。日本のメディアも取り上げたが、新潟県中越地震での劇的な救出劇の報道の陰に隠れる形で国民の注目を集めることはない。
▼翌日のマスコミの反応で興味深いのが「象徴である天皇がこのように政治的に踏み込んだ発言をしていいのか?」という論調であり、またこの質問を投げかけられて答えた民主党の岡田代表の言葉も興味深い。「陛下も人間ですし、当然いろんなお考えをお持ちですから、何とも言えないというのはおかしいと思う。一般論として申しあげるが、自由に自分の考えが伝えられるような方向に持っていくべきではないか。」(岡田代表) この反応には疑問がある。天皇が発した「強制になるというものではないのが望ましい。」というフレーズは前述したように1999年の国旗・国歌法制定の際の政府の見解である。これに忠実に言葉を述べたに過ぎない。もし、仮に天皇が「そう。がんばってね。」という言葉を返したら、それこそ政治的に踏み込んだことになる。その生返事はアジア近隣諸国に大きな衝撃を与え反日キャンペーンは一気に盛り上がっていただろう。この米長のノー天気な発言に咄嗟に返した天皇の言葉は、常日頃、象徴としての自分の役割を反芻しながら日本社会の動向にアンテナを張り巡らせている証拠なのだ。また、岡田代表の発言も短絡的だ。日本国憲法で定める“象徴”という規定の中では、天皇は自由にものはいえないのである。象徴天皇は時の政府に迎合することなく、日本国民の総意を意識しながら、その象徴としてはっする言葉を探し出さなければならない。そこに大きな重圧がある。その重圧の中で今の皇室は新しい皇室像を懸命に模索しているように私には思える。皇太子妃の心の病も私には健全な葛藤に見える。まちがいなく、今の皇室は日本国憲法の象徴としての役割と懸命に向き合っている。そのことに思いを巡らせることもなく、天皇を戦前の天皇制というシステムに引き戻し、天皇という権威を自分たちの懐に引き寄せようとする“空気”は許すことはできない。いずれにしても、米長氏の軽薄なアドリブをさらりと交わし、行きすぎを戒めた、平成天皇の「言葉」は見事であった。

▼ちょっとした言葉のズレからはじまった、舅と 嫁・孫の間の気まずい空気は消えることなく、まもなく嫁は息子の手を引いて舅に背を向けて去っていった。クスノキの下に取り残されることになった老人は、溜息まじりにもう一度「このバカタレが・・・」と呟いた。
▼ホトトギスの花の斑点の紫色はなんとも微妙な色をしている。出しゃばりもせず、控えめでもなく・・・中谷楓子の句が浮かぶ。「油点草(=時鳥草、ホトトギス)紫色出過ぎもせず居りぬ」だったか・・・確かに微妙な色合いがいい。

▼「いつも熱心だね。」 老人が私に話しかけてきた。「僕はあなたの口癖の“バカタレが”という言葉は好きですよ。あんなヒステリックな声に心を惑わされるのはやめましょう。一緒に花をみませんか。ホトトギスの微妙な紫色を楽しみませんか。」そう言いたかったが言い出せず、笑いでごまかし、再び、レンズを覗いた。
                      2004年10月29日