一年後の春 4月10日
▼騒然としたビルを抜け出し、その土手に座る。 満開の桜の乳白色と花菜の黄色が今年も見事に調和していた。
▼遠くに国会議事堂が霞んでいる。毎年この土手で、友人Mに会い、一緒に弁当を食べる。Mは政府関係の仕事をしている。年々、忙しくなるようだが、ついに昨年の春、Mはこの絶好の花見には姿を見せなかった。
▼ちょうど日本の春爛漫の季節をイラク戦争はだいなしにした。昨年の「草木花便り」。4月6日 妖精の瞳(米軍の戦車隊バグダッドに侵攻)、4月7日 過程?(バグダッド市内にミサイル弾)、4月8日 劇場戦争(米軍 大統領宮殿占拠)、4月9日 距離 (パレスティナホテルを米軍が砲撃)、4月10日 ひとつの寓話(4/9 バグダッド陥落)
毎日書きなぐられる乱れた文章の中に、春の草花が埋もれてしまった。
▼あれから一年がたった。3月末、この土手にMはやってきた。一年前、日米同盟の大切さをしきりに説いていたM。「この戦争はベトナムのように泥沼化するのではないか?」と言うと「そんなことはないよ。すぐにお前は泥沼などという感情的な言葉を使いたがる。」と交わしていたが、一年たちもう一度同じことを言うと「ベトナム以上かもしれないな。」と答える。「今のアメリカは国内にしか目がいっていない。晩年のドゴールがアメリカという国は重大な問題に際して、複雑な国内問題と子供っぽい感情を持ち込む国だ。と嘆いたそうだがその通りだと思う。」と言うと「そうだな。でもアメリカという国は不正を犯してもそれを修正する回復力のある国だから、それを待つしかないな。」とつぶやく。
▼20世紀は、アメリカという旧世界とは異質の国家が突然、国際舞台に登場し、そしてアメリカの一人勝ちに終わった世紀だった。21世紀という世紀は、100年後振り返ると、アメリカという超国家の終焉にはじまり、世界各地の国家という概念が溶けていった世紀になるのではないか。では何が世界に安定の秩序を与える次の装置になるのか、国家という概念に変わる装置を求めての実験が繰り返されるのが21世紀初頭なのかもしれない。イラクはその壮大な実験場なのだ。
▼バグダッド陥落一年が近付くにつれ、イラクの騒乱は目を覆う最悪の事態に突入している。イラク市民の占領に対する反発・憎悪は極限に達している。アンマンからバグダッドに向う直線のハイウエー、バグダッド街道沿線のフアルージャの街ではとりわけ、市民と米軍の憎しみの連鎖は狂乱の様相を示している。もともと反米のイスラム教スンニ派の多いこの町で、米軍による誤射が起きた。その報復の自爆テロ、そしてその報復としての空爆、連鎖はついにアメリカ民間人を市民が襲い丸焦げになった遺体を吊るし上げ歓喜するという事態にまで陥り、その映像がアルジャジーラを通して世界中に配信された。
▼怒ったアメリカ軍は徹底した空爆を行い、その矛先はこれまで行わなかったモスクにまで及んだ。モスクはイスラムの人々にとって最も神聖な場所である。この象徴的な空爆が憎しみの炎をさらに燃え上がらせた。米軍の空爆でフアルージャでは700人のイラク人が亡くなったと伝えられている。
▼フアルージャで何が起こっているのか?その惨禍を目撃しようと現地に向った二人の男がいた。フオト・ジャーナリストと若きNGOの活動家。彼らの誘いを受けて一緒にタクシーに乗り込んだ女性がいた。彼女はバブダッドで路上に置き去りにされた子供たちの支援を続けている。
▼三人を乗せバグダッド街道を疾走していたタクシーが行方不明になった。そしてまもなく、アルジャジーラに彼らを誘拐した武装勢力から、縛りつけられた3人の日本人を映し出したビデオテープと犯行声明が送りつけられてきた。同じように各国の民間人が次々と誘拐されている。アメリカ軍の空爆に対する、イラク人の新たな威嚇・報復がはじまった。
▼バグダッド陥落から一年、日本は再び沈痛な思いの中で、最悪の春爛漫をむかえている。
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