■ 書評    <評>重松清
    犯罪被害者の声が聞こえますか
                  /東大作[著]

  朝日新聞 2006年6月4日 より転載 
  


◇読み進めながら、何度となく胸がふさがれた。理不尽な犯罪によって家族を奪われ、あるいは自らが傷つけられた被害者が、なぜこんなにも、二重三重に苦しまなければならないのか・・・・。
2000年の全国犯罪被害者等基本法成立までを描いた本書は、まずなにより、悲しみと怒りに満ちたノンフイクションとして読まれるべきだろう。
◇一面識もない男にガソリンを浴びせられて火をつけられ、全身に火傷を負った女性に、病院は治療費を執拗に請求する。加害者に支払い能力がないのなら被害者が自ら治療費を負担すべきだ、というのが病院側の論理だ。宅急便の配達を装った男に妻を殺害された夫は、加害者やマスコミには開示される捜査記録や公判記録を被害者はいっさい見ることができないという司法の現実に愕然とする。本書は、そんな被害者二人ーー岡本真寿美さんと岡村勳さんの<誰からの支援も得られず、制度の不条理の中で、耐え続けてきた>姿を軸に書き進められる。いわば「個」の戦い(いや、「孤立無援」の「弧」のほうがふさわしいだろうか)が、苦しみを共有するひとたちとの横のつながりを得て、国を動かしていくまでのドラマなのだ。
◇だが、本書は決して被害者の感情のみを押し出したノンフイクションではない。書き手は、犯罪被害者をめぐるドキュメンタリー番組を何本も手がけてきたNHKの元ディレクター。<当時も今も、私は犯罪被害者の方々に「お気持ち分かります」と述べたことはありません。それは、あまりに不遜に思えるからです>と書く著者は、被害者の苦しみに安易にべったりと寄りそうのではなく、理解と情熱ある取材者としての距離を保ったうえで、加害者約二への単純な憤りの先にある、一回り大きな問題を読者に提起する。
◇<常に「国家」対「被告人」という図式で、刑事司法を考えていた>ために<その裏側で、被害者が置き去りにされている>司法制度に対する疑義ーーー特に終盤、「基本法」制定前に「権利」と「支援」をめぐって「被害者の会」が関係省庁と対峙するくだりは、<事件の当事者、つまり「尊厳を持った主体」である被害者の矜持を熱く示して、「被害者=かわいそう」という安直かつ無礼な図式に貶められることを毅然として拒む。その結果、「基本法」は<被害者が尊厳を持って生きていくことが、「権利」として、日本ではじめて認められた>画期的な法律となったのだ。
◇もちろん、現在形で読者に問う署名が象徴するとおり、<この制度に魂を入れる作業は、これから>である。だからこそ、本書は「被害者の会」「基本法」に限定された物語ではないのだ、とあえて言っておく。<尊厳を持った主体>の誇りをかけた闘いの記録は、読者自身が確かな尊厳をともに認めてこそ、僕たちのまなざしは、対岸の火事としての「かわいそう」の図式を超えられるのだろう。

                    
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 ※ 「草木花便り」の中での東大作の航跡

    ◇「2004年7月19日 曇天に咲く孤高のひまわり(「夢の誠文堂 店主より)」

    ◇「2004年8月27日 オークの樹の下で 東大作 カナダからの便り@」

    ◇「2004年10月1日 東大作 カナダからの便り A<誤算>」
    
    ◇「2005年1月1日 東大作 カナダからの便り B<私と息子>」

    ◇「2005年2月6日 東大作 カナダからの便り C<出会い>」

    ◇「2005年3月6日 東大作 カナダからの便り D<壁>」

    ◇「2005年5月13日 東大作 カナダからの便り E<年齢>」

   ◇「2005年7月26日 東大作 カナダからの便り F<国連にて(1)粘り>」

   ◇ 「2005年10月30日 東大作 カナダからの便り G<国連にて(2)テーマ>」

   ◇ 「2006年2月6日 東大作 カナダからの便り H<カナダと格差>」
                      2006年6月4日