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2014年01月09日

●静かな木


春には新芽をつけ、やがて木を覆いつくした新葉がわずかの風にもざわめき立って、 三月の日を照り返す。その光景をうつくしいと思わぬわけではないが、孫左衛門はなにかしら仮の姿を見ているようにも思い、木の真実は全ての飾りをはらい捨てた姿で立っている、いまの季節にあるという感想を捨てきれない・・・・
    藤沢周平「静かな木」より

▼最近、聞いた頼もしい言葉の一つが「結晶的知性(知能)」だ。人の脳の研究はこれまで病気の脳の解明を主に行なわれてきたが、近頃、 健康な脳を調査対象にし解明する動きが活発になっている。その過程で、健康な高齢者の脳の中には決して衰えるばかりでなく、その経験が結実する方向で神経細胞の再構築が行なわれていることがわかってきた。時には老年期になって神経細胞が分裂し増えることもあるという。若い人の脳神経細胞は複雑にはりめぐらされ、未知のものに臨機応変に対応する能力に長けている。それに対して高齢者の脳は、その神経細胞の張りかたはシンプルであっても効率よく情報伝達できるように再構築されて自分が長年培ってきた専門分野に特化し高度な知能を進化させている、というのだ。

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▼冬の公園で、剥き出しの枝振りをみていると、なぜ枝は絡まり縺れ合うことがないのだろうか、とその不思議さを思う。自由自在に伸びているようで、見事に隣の様子を感知して微妙な距離を保っている。イチョウ並木の1本1本の樹どおしもその末端の小枝は触れあわない。剥き出しのウンリュウヤナギをみるに至ってはその無造作な曲線どうしが微妙に距離を取り合っているのには恐れ入る。
この枝の張り方や神経細胞の伸び方にはなにか共通の原則があるのだろうか。
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まっすぐに天空を目指すユリノキの前にたつと「結晶的知性」とはこういう枝振りかもしれない、と思う。

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