●見えないもの
カイドウ(海棠)/バラ科リンゴ属。落葉低木。カイドウの仲間(リンゴ属)は、北半球の温帯におよそ30種類ある。この中から食用として改良されたのがリンゴ、観賞用として育てられたのがカイドウである。カイドウの中にも果実を食するミカイドウ、観賞用がハナカイドウである。いずれも中国産で、徳川初期に日本に渡来した。昔、唐の玄宗皇帝が楊貴妃のほろ酔い姿を見て「妃はまだ酔うているか」と問うたところ、ほんのり紅をさした顔を嫣然とほころばせて「海棠の眠りいまださめず」と答えたという。その美しい薄桃色の花がほのかに酒気をおびた絶世の美女楊貴妃の転寝の顔にたとえられた。ここから中国では海棠を眠花ともいう。花言葉は、温和
見えないもの 金子みすず
ねんねした間になにがある。
うすももいろの花びらが、
お床の上に降り積もり、
お目々さませば、ふと消える。
誰もみたものないけれど、
誰がうそだといいましょう。
まばたきするまに何がある。
白い天馬が羽のべて、
白羽の矢よりもまだ早く、
青いお空すぎてゆく。
誰もみたものないけれど、誰がうそだといえましょう。
▼1903年の4月11日、童話詩人の金子みすずが生まれた。昨日はちょうど生誕111年になる。彼女が26年の生涯を過ごした山口県長門市に、10年前、生誕百年を記念して「金子みすず記念館」がオープンし、彼女の育った金子文英堂という書店も復元されていく。同じ山口県でしかも書店の息子である自分は、勝手に金子みすずを身近な存在に引き寄せてきた。
▼日本海の小さな漁師町で一生を過ごしながら、彼女からでる言葉の連珠は、壮大な宇宙の香りにあふれている。目の前には見えないものに果てしない想いをめぐらす、みすずの瑞々しい視線を浴びるたびに、忘れかけていたものがまた戻ってくるような気がする。
大漁 金子みすず
朝焼け小焼けだ 大漁だ
大羽鰮(いわし)の大漁だ。
浜は祭りのようだけど
海のなかでは何万の
鰮(いわし)のとむらいするだろう。
▼「大漁」という詩はみすずが21歳(大正13年)の時に作ったものだ。浜辺で大漁の宴に人々が酔っている渦中、大勢の鰮を失った海の底の悲しさに視線を当てるその想像力。競争社会を勝ち抜いたものが狂喜乱舞する中で、目の前に見えない、敗れたものに思いを馳せるみすずの瑞々しさには、想像力を失った現代社会への強烈なメッセージがほとばしる。勝利することは一方で無数の敗者を生み出すこのにつながる。この勝者と敗者の連鎖の中でイノチが継続していくという、生命の宿命までをも一瞬の描写で切り取る眼差しは圧巻である。
カイドウの花を画面に並べて、久しぶりに 、金子みすゞのなかにいる。
蜂と神様 金子みすず
蜂はお花のなかに、
お花はお庭のなかに、
お庭は土塀のなかに、
土塀は町のなかに、
町は日本のなかに、
日本は世界のなかに、
世界は神さまのなかに。
そうして、そうして、神さまは、
小さな蜂のなかに。