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2010年08月16日

●根府川のカンナ

カンナ

 Canna lily


原産地は熱帯・亜熱帯。江戸初期に渡来にし日本各地に広がった。

宿根草の多年草、根茎から増やすことができる。茎は直立し、紫色または緑色。葉は広く長さは30センチくらいある。
夏から秋にかけて開花し、赤・黄色・ピンク・白、黄色に赤の絞りや赤の水玉模様のある花を開く。
 がく片3、花弁3個、花弁化した雄しべ3本。

花言葉は、尊敬、情熱、妄想、疑惑

▼酷暑の夏は太陽を浴びながらまっすぐに燃え盛る赤いカンナの花。上の写真は、8月はじめ、広島・平和公園の中で見つけた。
平和公園はもともと、広島一の繁華街だった。被爆後、町の瓦礫や無数の身元不明の遺体の上に盛り土をして公園とした。もとの地面より70センチ高くなっている。その盛り土に根を張り巡らし、真っ赤な花を咲かせるカンナには被爆65年を凝集した執念のようなものを感じる。意志を持った墓標のようにも見える。


▼終戦の翌日見た赤いカンナに強烈な啓示を受け、それを詩にたくした茨木のり子の「根府川の海」という詩が好きだ。いつか海辺の無人駅・根府川駅に咲く赤いカンナを見にいきたいと思いながら何年も過ぎた。

▼8月14日、朝日新聞の夕刊の一面を見て驚いた。根府川駅のホーム越し、相模の海を背景に咲くオレンジ色のカンナの花々の写真が掲載され、その下に茨木のり子の「根府川の海」が載せられている。短いルポもさわやかだ。こういう企画ルポを、夕刊とはいえ、一面トップに持ってくる編集長はなかなかの目利きだ。うれしくなった。よし、これを機会に自分も根府川駅に行ってみよう。

▼16日、65年前、茨木のり子が通過した同じ日に、カメラを持って、根府川駅を訪ねた。朝日新聞の写真のように、ホームに沿ってカンナが並ぶという姿は撮れなかったが、海を背景に点在するカンナを自分のカメラにおさめることができた。


▼残念なことに、記事にも書かれているように、65「年後の駅前のカンナはどれもオレンジ色で、茨木のり子が見かけたような赤い花は見つけられなかった。

無人駅、蒼い海を背に風にそよぐカンナは赤い花であってほしい。もし、花が赤色でなければ、あの詩は生まれなかったのではないか。


         根府川の海               茨木のり子

 根府川  東海の小駅   赤いカンナの咲いている駅
 
たっぷり栄養のある 大きな花の向こうに いつまでもまっさおな海がひろがっていた

 中尉との恋の話をきかされながらも 友と二人ここを通ったことがあった
 
 揺れるような青春を リュックにつめこみ  
 動員令をポケットに ゆられていったこともある

 燃えさかる東京をあとに ネーブルの花の白かったふるさとへ
 たどりつくときも あなたは在った

 丈高いカンナの花よ おだやかな相模の海よ

 置きに光る波のひとひら ああそんな輝きに似た 十代の歳月

 黒船のように消えた 無知で純粋で徒労だった歳月 うしなわれたたった一つの海賊箱

 ほっそりと 蒼く 国を抱きしめて 眉をあげていた 菜っパ服時代の小さいあたしを
 根府川の海よ 忘れはしないだろう?

 女の年輪をましながら  ふたたび私は通過する 
 あれから八年 ひたすら不敵なこころを育て

 海よ あなたのように あらぬ方を眺めながら・・・・・・・・・・・・・・・。

▼ 無人駅のホームでぼんやり海を眺めていると、カメラを持った青年に声かけられた。鉄道マニアだというその青年にうながされて駅の近くの根府川鉄橋を見に行くことになった。
 海岸沿いの斜面にある集落の坂を下って鉄橋の近くまできた。淡い桃色のサルスベリの花の向こうに赤い鉄橋。可憐な鉄橋だね、と言うと青年はわがことのように誇らしげに頷いた。
 65年前のきょう、根府川の駅に停車した列車の窓から、海を背に咲き誇る赤いカンナの花々を、ぼんやりみつめた麗しき乙女。やがて、彼女を乗せた蒸気機関車はゆっくり無人駅を抜け出し、この鉄橋を渡り、戦後に向かって一気に滑り出したのだ。



▼列車が来るまで撮影を続けるという青年を残し、再び、根府川の駅に戻った。
40度近い、この夏一番の猛暑の中、たどりついた駅の山側の広場前で。赤いカンナの花を一輪、見つけた。強烈な太陽光を浴びて、黒ずんで輝くその赤は燃えつきたように咲いていた。。

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