東大作      オークの樹の下で

 カナダからの便りL 「コースワーク終了」 
          2007年4月27

     一連の写真は、東氏の妻(雅江さん)が撮影     ↓オークの花





























※去年以来、過激ともいえる多忙さの中でなかなか投稿できませんでした。すみません。

◇先ほど、最後のコースワークの論文を出して、これで、私の大学院での、コースワークは全て終了した。結果はまだ分からないが、なんとか持てる力の範囲で全力は尽くしたと思っている。

◇今学期は特に忙しかった。去年9月から始めた、Teaching Assistantといわれる、主に大学生の採点をするアルバイトをしながら、三つの授業をとり、毎週のように論文を書き、更に、途中、自分の研究のためにニューヨークの国連本部にも行かなければならなかった。4月の中旬、三つ書く長論文の一つを提出し、最後の授業に出た翌日、遂に体を壊し、三日ほど完全休養せざるを得なかった。他の論文については、教授の配慮もあり、少し期限を延ばしてもらいつつ、ようやく、先ほど最後の論文が終わった。

◇三つの授業を取りながら、アルバイトなどそれ以外の活動もこなすことは、二年前にMAに入学した頃には考えられなかったので、少しは私も馴れたのだろうか。それでも、先学期は全ての授業でクラスで一番か二番の成績だったことは、少し自信になった。

◇5月中旬から、またニューヨークに一月滞在し、前回の投稿で書いた、マクアスキー国連次長補の全面的な協力のもと、平和構築に関するインタビューと資料収集、将来のフィールド調査に向けた交渉などを行う予定になっている。一歩一歩、自分の目標に向かって努力を続けるしかない。マクアスキー氏の協力に応えるためにもよい調査をしたいと心から思っている。

◇その後バンクーバーに戻り、それからは、11月に予定されている、コンプレヘンシブ試験の準備である。この試験を通らないと、本格的な現地調査に入ることができない。二度、それぞれ5時間、教授のオフィスに缶詰にされ、三問の質問に、参考書一切なしで、自分で答えなければならない。もちろん、答えは英語でパソコンに書き込むのであり、これは、留学生にとっては最大の苦労の一つである。

◇ただ、これも、国際関係論の理論を頭で覚えると同時に、英語を短時間で書く訓練だと前向きに考えるようにしている。

◇英語については、とくに、この時点でもう一度、文法のおさらいと、発音の基礎を学びたいと考えている。だいぶ、英語の読解や英語を書くことに馴れてきたので、ここでもう一度基礎を学びなおせば、ネイテイブのチェックなしに英語を書く自信につながるかも知れないと思う。

◇ネイテイブチェックについては、とくに、ダイアナという、私がカナダに来て以来、私のほぼ全ての論文の文法をチェックしてくれている方にお礼を言いたい。彼女は、もともとUBCの法学部を出た弁護士だった。しかし、途中でもっと自由な仕事をしたいと考え、学術論文や本の編集をする編集者の仕事を今、専門の仕事としてやっている。彼女のようなプロの編集者にチェックしてもらえることは、私にとって最大の幸運の一つだった。彼女には、論文だけでなく、奨学金の申し込みや、大事な手紙を書いたり履歴書を書くときもいつも事前にチェックしてもらっている。私の夢や希望もよく分かってくれていて、他の仕事が忙しくても、いつも最優先して仕事をしてくれる。もちろん、お金はかかるが、お金では買えない協力をしてもらっていること、なんとお礼をいっていいかといつも思っている。

◇今学期、一つの授業の小論文について、彼女の突然の用事でチェックしてもらうことができなかった。自分で何度も見直して、提出したのだが、それでもAという一番上の成績がもらえたので、自分の英語もまともになってきたのかと思い、少しほっとした。それにしても、今後英語などで本を出そうとする際には、彼女の協力は大きい。

◇話が前後左右するが、今回5月からの国連調査については、日本の国連代表部の方々も大変、協力して下さり、それについてもまた心から感謝の気持ちを伝えたい。


◇NHKの人たちも、ことあるごとに、励ましてくれる。ニューヨークで一緒に仕事をした総局長をはじめ、記者、デイレクターの方々も、私がNYに出張すると常に食事をおごって励まして下さる。NHKの方が、外部の方に私についてよく話してくれることが、どれだけ力になっているか、測り知れない。また、誠文堂の店主をはじめ、できあがったテープを送ってくれたり、メールで励ましてくれるNHKの人たちの声を支えになんとかやってきたように思う。

◇それでも、実質的には、ようやくコースワークが終わったにすぎない。11月に試験を突破したら、それから、やっと現地調査である。普通に考えても、あと三年はかかる。

◇私もあと10日ほどで38歳である。カナダに来たのが、35歳の時だった。30代の半分を学生として過ごすことになる。 それでも、最初の学期が終わった時に、この投稿で書いた「最 も愚かしいことは、自分と他人を比べることである。すべきことは、ただ過去の自分と今の自分を比べることである。過去の自分に比べ、自分が向上していれば、それでよいのである」というこちらの参考書にあった言葉を支えに、努力を続けるしかないのであろう。

◇今から、カリフォルニアで弁護士をしていて、13年前にカリフォルニアで留学していた時にできた親友のところへ、家族で三泊四日で遊びに行く予定である。親友も二人の子供がいて、高校教師である夫と幸せに暮らしている。長い時がたっても、友人でいてくれることに感謝、感謝である。

◇最後に、あと数日(5月10日)で、結婚して10年になる妻に心からお礼を言いたい。カナダに来てからコースワークが終わるまで、いつも追い込まれていた私を支え、カナダの学校と日本の学校に慣れるために苦闘していた息子を支えてくれた。自らも、誰に言われるでもなく、バンクーバーにある日本語の学校を探し出し、通いつめ、今は、多くのカナダ人に日本語を教え、さらに自らのキャリアを延ばしてくれている。まさに頭があがらないとは、このことである。私がこの歳になって、未だ夢とか希望とかを諦めずに努力を続けることができているのも、本当に妻のおかげである。どうもありがとう。

<誠文堂店主から一言>
 日本では、道端に日本桜草が愛らしく咲いています。桃色の桜草の花言葉は「初恋」だそうです。君の変わらぬ志と、家族愛には、この可憐な野花はよく似合う。 

 ブログの世界が無限大に膨張する中で、こんなに小さく地味なホームページに、投稿し続けてくれてありがとう。変わらぬ君の夢と併走しながら、このささやかな「草木花便り」も、いつまでも葉を重ねて、持続したいと思います。今後ともよろしく。

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 ※ 「草木花便り」の中での東大作の航跡

    ◇「2004年7月19日 曇天に咲く孤高のひまわり(「夢の誠文堂 店主より)」

「2004年8月27日 オークの樹の下で 東大作 カナダからの便り@」

「2004年10月1日 東大作 カナダからの便り A<誤算>」
    
    ◇「2005年1月1日 東大作 カナダからの便り B<私と息子>」

    ◇「2005年2月6日 東大作 カナダからの便り C<出会い>」

    ◇「2005年3月6日 東大作 カナダからの便り D<壁>」

    ◇「2005年5月13日 東大作 カナダからの便り E<年齢>」

   ◇「2005年7月26日 東大作 カナダからの便り F<国連にて(1)粘り>」

   ◇ 「2005年10月30日 東大作 カナダからの便り G<国連にて(2)テーマ>」

   ◇ 「2006年2月6日 東大作 カナダからの便り H<カナダと格差>」

   ◇ 「2006年3月3日 東大作 カナダからの便り I<結果とオリンピック>」

   ◇「2006年10月6日 東大作 カナダからの便り J<カナダと新渡戸稲造>」

   ◇「2006年10月30日 東大作 カナダからの便り K<新しい出会い>
                      2007年4月27日