●”別品”の立葵
立葵(たちあおい) アオイ科アルテア属
▼台風が駆抜けた翌日、街は一気に灼熱の夏になった。熱気にむせかえる殺伐とした駐車場の溝の中からすくっと身を乗り出した一本の立葵を見た。美しい。
▼立葵の花言葉は、豊産・大志・灼熱の恋・野心・単純な愛・平安・威厳・高貴・野望、あなたの美しさは気品にあふれ威厳にみちている・・・・これ以上ない賛美の花言葉を得たのには、その素性も関係あるのだろう。
立葵の花は、人類が愛でた最古の花の一つである。イラク北部で出土した6万年前のネアンデルタール人の骨の側にこの花が手向けられていたという。その後、立葵はインド・ミャンマーを経て、中国の四川省に伝わり、唐代以前は、蜀葵の名で、最高の名花とされた。日本には平安時代に伝わり、唐葵とよばれ、江戸時代から立葵となった。(「花おりおり愛蔵版」より)
▼殺伐とした灼熱のコンクリートの中にすくっと背筋を伸ばしす一本の立葵に出会うと、昨年、亡くなった天野祐吉が遺した「別品の気高さ」という言葉を思い出す。
「30年ほど前、哲学者の久野収先生に聞いた話を、いま思い出しています。昔の中国の皇帝は、画家や陶芸家などを、専門のスタッフと相談してきめたらしい。で、その一等を”一品”といった。天下一品なんていう、あの一品ですね。で、以下、二等・三等・・・・ではなく、二品・三品・・・・という呼び名で格付けたそうです。が、中国の面白いところは、その審査のモノサシで測れないが、個性的で優れていると思われるものは、「絶品」とか「別品」として認めた、というんですね。
そのときの久野先生によると、『別品(別嬪)といったら、いまでは美人のことを指しますが、もともとはちょっと違うようですね。関西では、芸者と御料人さんとか、正統派の美女に対して、ちょっと別の、声がハスキーだとか、ファニーフェイスだとか、そういう美女を別嬪と呼んだわけですね。ところがいまは俗流化して、別嬪というと美人のことになってしまった。僕が言いたいのは、別品とか逸品とか絶品とかいうのは、非主流ではあるけれど、時を経ると、どちらが一意であるかわからないような状況が生じる可能性があるということなんですね。』
別品。いいなあ。経済力にせよ軍事力にせよ、日本は一位とか二位とかを争う野暮な国じゃなくていい。「別品」の国でありたいと思うのです。」(天野祐吉「成長から成熟へ」より)
すっかり、外来種に覆われた野花のなかで、たった一本で、日本の路地に清々しさを与えてくれる平安の花、立葵が今年も咲いてくれた。このむせかえる駐車場の片隅に咲いた異質の花。その別品の気高さは代えがたい宝である。