東大作・著 「平和構築」を読んで
2009年6月
▼6月19日、練馬・光が丘の本屋の店頭でも、東氏書き下ろしの岩波新書「平和構築」が平積みされた。我が事のようにうれしい。
▼5年前に、突然・テレビ・ジャーナリストの道を捨て、カナダにわたり、まわりを驚かせた。カナダでは一学生として、「平和構築」の研究に没頭する一方で、ニューヨークの国連本部に通いつめネットワークづくりに奔走し、一方で企業に働きかけ調査資金を捻出し、ついにアフガン・東チモールの現場調査を実現した。その様子は、この「草木花便り」に東君自らが書きためてきた。(「東大作 カナダからの便り」を参照) そしてこれまでの調査と考察の集大成として、この岩波新書が出版された。
▼ 「広島で被爆した父と母の体験をどう世界の平和の問題につなげていくかは、私にとって一生の課題になっています。」 この本のあとがきに書かれた一文は著者の原点であり、今の行動をも貫く背骨となっていると思う。我々の両親達は、荒廃した焼け野に立ちすくみ、そこから這い上がり子供達を育て上げた。その復興から繁栄のプロセスに、日本の戦後復興と平和構築を、よくアメリカは自らの占領統治、復興事業の成功例としてあげるが、それは決してアメリカからのトップ・ダウンの政策だけでなく、そこに棲む一人一人の庶民の自発的な向上心の積み重ねであったことを、我々、息子達は体得している。
▼戦乱の地で暮らす人々、一人一人の地平まで降り立ち、戦争の荒廃からどう暮らしを再生すればいいのか、彼等がどのような方法で生計を立てていけばいいのか、東氏は現地の人々の声を拾い集めながら考察し、提言にまとめ、さらに一般的な「平和構築」のスキームをつくりあげようとしていく。その過程は、まさに「たった一人の政策立案」である。
▼この本を手にした今、日本の政治は相変わらず政策の見えない政争に明け暮れている。彼がカナダに渡り「平和構築」のために日本は何をすべきか苦闘してきたこの5年間、日本にいた我々は何をしてきたのか、ページをめくるたびに突きつけられる。
▼日本はアフガニスタンの「平和構築」のためになにをすればいいのか、そこに辿り着くために著者は昨年、二度にわたり現地調査を敢行した。
▼現地ではいきなり核心のテーマに向きあう。「タリバンをはじめとする反政府武装抵抗勢力とどう和解していくか」 現地でのアンケート調査と要人へのインタビューを通して、まず「タリバン」勢力の分析をおこなう。一言で「タリバン」といっても、中には大きく二つに分けられる。一つは、アルカイダのメンバーやパキスタンからきた外国からの過激派、もう一つはアフガン出身のタリバン。この後者のアフガン人のタリバンに著者は注目する。彼等の多くは経済的な理由でタリバンに協力している。タリバンで働けば月100ドルの給料をもらえるからだ。さらに誘拐をすれば月400ドル、自爆テロを行えばその家族は一生タリバンが面倒みることが約束されている。タリバン兵士が420人いるとすれば、そのうち400人は、一ヶ月100ドルの給料をタリバンからもらって生計を立てている。パキスタンから支援を受けている中核のタリバンは20人にすぎないという。
▼多数を占めるアフガン人タリバンに経済的自立の道筋を示すことが「平和構築」へシナリオだと著者は確信する。提言は極めて具体的である。
◇アフガン各地にくまなく職業訓練施設を作り、和解に応じることを条件に、一年や二年という長期的な職業訓練をおこなう。訓練中は、月に100ドルといわれるタリバンからの給料を上回る月給を支払う。
◇訓練が終われば、その技術を生かして仕事につけるよう、訓練と連携した地域開発のプロジェクトを各地に立ち上げる。地域開発に関しては2003年に開始され、9年までの総プロジェクト費が800億円という、アフガン最大の開発プロジェクトがある。農村復興開発省が世銀との協力ではじめたプロジェクトだが、これを今後の継続する。
この開発プロジェクトの仕組みは可能性を感じる。それぞれの村で25人以上の参加者がそろえば「地域開発評議会(Community
Development Council=CDC)」を設立できる。このCDCのメンバー自ら議論して、どんなプロジェクトを地元でおこないたいか決めて提案する。これまで2万800のCDCが設立された。このスキームを職業訓練と連携させ、支援することで「平和構築」を実現しようというのが著者の新たな提案だ。
▼著者は、この新たな和解プログラムを国連へのリポートで繰り返し提案している。Challenge of Constructing Legitimacy in Peacebuilding: Case of Afghanistan http://www.un.org/Depts/dpko/lessons/
これが伝わったのか、米国のオバマ米国新大統領は今年3月発表した「アフガン・パキスタンに関する新戦略」の中でこう述べた。「原理的なイデオロギーに基づいて戦っているのではない反政府武装勢力と和解をすることなしに、平和はありえない」 こうした発言は「不朽の自由作戦」など軍事作戦参加を声高に呼びかけたブッシュ前大統領とは一線を画している。明らかに、「平和構築」に向かっての新しいステージが始まっている。
▼著者が示した「職業訓練」→「地域開発」の流れでの平和構築のシナリオには、これまで日本がアフガンで行ってきた支援のスキームが活かせる。日本はJICA(国際協力機構)を中心に、アフガンの九つの地区で職業訓練のための技術支援を行ってきた。「溶接・板金・電気配線・コンピュータ・裁縫・配管」などの訓練をおこなってきた。いまも1500人が訓練を受けているという。また、50人近いJICAのスタッフがカブールに駐在し、「農村開発」「水道・下水道・道路などのインフラ整備」「教育・医療の拡充」などのプロジェクト支援をおこなっている。
こうした支援はアフガンの人に高い評価を得ており、アジア財団が2007年におこなったアフガン人6000人への世論調査でも「アフガンに対し最も支援をおこなっている国はどこか」という問いに、アメリカに次いで日本が二位になっている。
調査でアフガン国内を歩いた東氏は現地の人々から「日本だけが、自国の国益のためでなく、純粋な動機でアフガンを支援してくれている」と聞いた。
▼日本の政局は混迷をきわめている。この政争の中で、「インド洋沖への海上自衛隊派遣」の話がでるが、インド洋での給油活動に代わるものとして、東氏の提案する「平和構築」のスキームを国際社会に堂々とプレゼンできないものか。アフガン国内の治安が悪いなら、アフガンの人々を日本に招へいし様々な分野の職業訓練指導者を育成する。それと同時にアフガンの各地に職業訓練校を増設する支援をおこなう。一方で、CDCやNGOを積極的に支援し、各地の実情にあわせた開発プロジェクトを立ち上げ雇用の場を創り出す。日米同盟のもと「ショー・ザ・フラッグ」を強く求めたブッシュ政権と違い、オバマ新体制は、この新たな「平和構築」案を「インド洋での給油活動」にかわるものとして評価してくれないだろうか・・・・・・読みながら夢想はつきない。
▼著書が日本で出版されて一週間後、東君は一時帰国した。連日、彼を支援する人々への報告に忙しく動き回ったが、その合間、私にも面会してくれた。この5年間、こちらは組織の中ではひからびた存在になってしまったが、彼の話を聞いていると、再び前に向かう活力を授かる。アフガンの市井の人々ともこうしてまめに会話を重ねながら彼等に展望を活路をあたえているのだな、と思う。これからも彼の動きを追尾していきたい。
※東大作のテレビ・ジャーナリストとしての航跡はここをクリックすればでます。
※ 「草木花便り」の中での東大作の航跡
◇「2004年7月19日 曇天に咲く孤高のひまわり(「夢の誠文堂 店主より)」
◇「2004年8月27日 オークの樹の下で 東大作 カナダからの便り@」 ◇「10月1日 A<誤算>」
◇「2005年1月1日B<私と息子>」◇「2月6日C<出会い>」◇「3月6日D<壁>」◇「5月13日E<年齢>」◇「7月26日F<国連にて(1)粘り>」◇「G<国連にて(2)テーマ>」
◇「2006年2月6日H<カナダと格差>」◇「3月3日I<結果とオリンピック>」◇「10月6日J<カナダと新渡戸稲造>」◇「10月30日K<新しい出会い>」◇「2007年4月27日L<コースワーク終了>」
◇「2007年8月23日M<奇遇と三年>」 ◇「2008年1月5日N<クライマーズ・ハイ>」
◇「2008年2月23日O<カブールからの便り1>」 ◇「2008年5月〜7月Q<アフガンからの便り1>」 ◇「2008年10月21Q<アフガンから東チモールへ>」
◇「2009年4月1日<東チモールからの手紙>」 ◇「2009年5月28日<出版>」
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